プロフィール

プロフィールのページにご訪問下さり、ありがとうございます。

少々長くなりますが、何かのご参考になれば幸いです。

 

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2017年10月に、様々な職種に携わってきた3次元での仕事を卒業し、やっと自分の責任活動でもあるライフワークを開始することとなりました。

魂の性質が両極端を持ち合わせていますので、今世でも両極端を体験し中庸を生きるという学びをしています。

人生の転機は幾つかありましたが、最も重要なターニングポイントは、2007年に表裏一体の魂の姉妹でもあるツインフレームに出逢った後に共にディセンション(次元下降)し、約10年間にわたり過酷な感情解放と潜在意識の浄化を経て、性格が大きくシフトしたという事です。

浄化の前は、人に合わせて本音を言わず、努力は嫌いで先の事は考えず行動するという、自己中心的で無責任な性格でした。

公表するのは気が引けますが、180度変わった私の今世の歩みを、書かせて頂きたいと思います。

 

 ✦子供・学生時代✦

 

1963年 アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。

父は私が生まれる一か月前にアメリカへ帰国しそのまま生き別れとなり、母は未婚のシングルマザーとなる。

当時は祖父母もおり、子供の頃は主に祖母が私の世話をしてくれ、自由奔放に甘やかされて育つ。

極度の人見知りで、人前で声を発する事は苦手な子だった。

物心がついた頃、周りの人とは違う外国人のような外見にコンプレックスを持ち、嫌で嫌でたまらなかった。

いつも疎外感を感じていて、自信がなくどこか暗い半面、気が強い部分もある子供だった。

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小学生の時はスポーツが大好きで、体育の時間が一番楽しみだった。

勉強は嫌いで、授業中は先生の話をあまり聞いていた覚えがない。

男の子のように活発で、いつも暗くなるまで外で遊んでいた。

中学、高校はバレーボール部に入ったが、特にバレーボールが好きという訳でもなかった。

努力やきつい事は嫌いだったので、高校の時の部活は苦痛だった。

特に目的もなく何となく高校3年間を過ごし、将来の事について等考えた事もなかった。

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✦社会人✦

 

高校卒業後、化粧品会社へ就職し美容部員となる。

この会社に就職したのは、「何となく聞こえが良いから」という理由…。

入社はしたものの、仕事内容は自分が最も苦手とすることばかりだった。

ましてや、化粧品には興味がなく、自分が化粧する事も嫌いだった。

どうしてその会社を選択したのか、本当に意味不明である。

ちょっと考えれば分かる事を、いかに何も考えていないか…。

私は人生の大事な場面で、このようなあり得ない選択を幾度となく繰り返している。

結局この会社では、仕事への意欲も辞める勇気もなく、4年半勤務したが限界を感じ退職する。

次は先輩からの誘いで、外車のディーラーへ入社する。

約2年後、その会社のお客さんの経営するゴルフショップで働いてみないかと誘われる。

丁度その頃、趣味のゴルフを楽しんでいた時期でもあり、「ラッキー」という軽い気持ちで転職する。

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✦結婚・出産・離婚✦

 

その転職先のゴルフショップで知り合った同僚と、一年後に結婚する。

そのころ流行っていた占いの本で、「年内に結婚しなければ婚期を逃す」と書いていた事が気になっていたからである。

結婚をゴールとしていた為、先の事は何も考えてなく、新婚当初から家事と仕事の両立で苦戦することとなる。

自分一人の自由な時間がなかなか持てない事にも、ストレスを感じていた。

にもかかわらず、自分の子供を見てみたいという安易な考えで、翌年の1990年に娘を出産する。

当然の事ながら慣れない育児も加わり、更に大変になってゆき、子供を心からは可愛いと思えないことに疑問を持ち始める。feet-690869_640.jpg

夫婦の仲も表面的だったが、当時それが表面的だとも気付いていなかった。

たまに喧嘩はしたけれど、特別に仲が悪かった訳でもない。

夫婦と言うよりは同居人という感覚で、お互いにもめ事を避け、思っている事を口に出さなかった。

本音を言わず不満をつのらせ、「結婚とはこんなものだ…」と、半ば諦めの気持ちで暮らしていた。

しかし、それには限界が来て、経済的な事、仕事の事、価値観の相違等々、自分の中でどんどん不満が膨らんでゆき、10年目ついに離婚を決めた。 

私からの一方的な突然の離婚は、きちんと話し合いもしないままの、様々な問題を放置した、身勝手な選択だった。

お互いが本音で話し合えていれば、もう少しまともな離婚が出来たと思うけれど、当時は本音が何かも、解っていなかった。

夫婦の事はともかく、せめて娘の事に関しては、きちんと話し合うべきだった。

しかし私は、当時小学生だった娘にも、娘の人生が大きく変わったこの離婚について、きちんと説明する事なく、実家に戻り転校させた。

そして、娘の心に深い傷を負わせてしまっていた事にすら、気付いていなかった。

娘の気持ちを理解する事も、寄り添う事もしていない、最低な母親だった。 

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 ✦スピリチュアルへの逃避✦

 

私がスピリチュアルに興味を持ち始めたのは1991年頃。

娘を出産した後で、それまでは胎教すら信じてなかったが、結婚生活で自分を保つために、ヒーリング、チャネリング、潜在意識、瞑想、パワーストーン、アロマなど徐々にはまっていった。

きっかけは知人に紹介された本で、ダリル・アンカ著の『バシャール』と、シャーリー・マクレーン著の『アウト・オン・ア・リム』。

斬新な考え方や情報に感銘を受け、特に『バシャール』は何度も何度も繰り返し読み、テープを聴き、ワクワクする事を追い求めた。

当時の私のワクワクは利己的になっており、やりたいことをやると、周りにしわ寄せがきてしまう事に違和感はあったが、そこは見ないようにした。

離婚後、実家に戻ってからも、事務系の仕事をしながら、自分のやりたい事を楽しんだ。

いつも気を付けていたのは、毎日を気分よく過ごす事…。

「先ずは自分が癒されていなければ、人を愛する事はできない。」と自分のやっていることを正当化し、楽な選択ばかりしていた。

しかしその時のスピリチュアルへの道は、嫌なことからは目を背け、楽しい事だけを選択するという偽ポジティブな方法だった。

それが、向き合わなければいけない様々な問題から逃げていただけとは、全く気づいていなかった。

これらの避け続けてきた事のつけも、後のディセンションの時期に刈り取る事となる。

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2006年、娘とよく行っていたショッピングモールの書店で『リコネクション』という本を見つけ、その波動に引き付けられた。

本の中にセミナーの案内があって「受けてみたい!」と直感的に思い、何度か東京まで足を運びプラクティショナーになった。

最初の動機は、家族や動物を癒したいという純粋な気持ちからだったが、次第に仕事としてやりたいという欲が出て来てしまい、方向性が変わっていった。

2007年、事務の仕事をしながらリコネクションもやり始め、SNSでもスピリチュアルな知り合いが増えていった。

この頃にライトランゲージも話せるようになる。

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✦ディセンション体験✦ 

 

2007年の夏 共通の知り合いを介して、魂の姉妹のツインフレームNonに出逢う。

薬剤師の方と聞いていたがそんな雰囲気もなく、よく笑う正直そうな人だなという第一印象だった。

漢方薬局を開店したとの事で、後日私が漢方薬を買いに行き、そこから色んな話をしながら親しくなってゆく。

最初の半年間程は、楽しみながらスピリチュアルな事を学んでいた。

しかし二人とも様々な不思議な体験と共に、徐々にディセンションが始まってゆく。

今振り返るとあの頃は、世の中がアセンションブームの中、私たちだけが、低次元の異空間へと入り込んでいたような感じがする。

自分の中の高次元の部分が先にアセンションしてしまい、低次元の部分だけが取り残されたのではないかという感じだった。

実際、自分が居なくなる…遠ざかって行く…という体験と、魂の玉が入って来るという不思議な体験もしていて、今まで当たり前に出来ていた事ができなくなり、記憶も曖昧になったりしていた。

おそらくこの時に、生きながらの転生をしたのだと思う。

歩き方や顔つきまでも変わってゆき、まず怒りの感情が爆発し始めた。

ちょっとした事にとてつもない怒りが込み上げて来て、その利己的な怒りの感情は今世だけに留まらず、前世のものまでも浮上した。

特にエジプト時代の怒りは強く表れた。

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そんなさなかに、当時高校3年生だった娘が妊娠してしまう。

娘の妊娠という非常事態を目の前に、当の母親の私が、とんでもない状態になってしまっていた。

妊娠発覚の直後には、私の祖母も亡くなり、その時更に自分も周りのエネルギーも変わった。

事務の仕事も、リコネクションも辞めた。

何よりも一番困ったのは、真の感情を感じる事と考える事が出来なくなり、人に同調してしまう事。

そして自分ではその自覚がなかったという事だ。

Nonもディセンションしている中、おかしくなってしまった私を、必死でサポートしてくれた。

そこから、鏡の法則を使っての感情解放と潜在意識の浄化が徹底的に始まる。

2009年6月、娘は男の子を出産した。

相手の男性も同じ10代で社会人ではあったが、二人とも親になるには精神的に全く準備ができていなかった。

男性は子供が生まれて2週間程は一緒に暮らしていたが、結局出て行ってしまい、娘はシングルマザーとなった。

そして私と娘は、それまで気付かずに抑え込んでいた怒りの感情が浮上し始め、ぶつかり合いが更に激しくなっていった。

そんな毎日が地獄のような中、生まれて来た子供を育てることとなる。

それらは全て浄化の為のプロセスであり、また自分の蒔いてきた種の刈り取りでもあった。

私はただただ感情を感じて手放し、反省して受け入れていくしかなかった。

Nonが私をサポートしてくれたその方法は、切断されている真の感情を感じられるように、その一つひとつを私に認識させ、鏡の法則を潜在意識に落とし込ませていくというとてつもない作業だった。

それらは、自分の中の悪と向き合わなければならず、受け入れ難い事が多かった。

その為、一生懸命に私の為にやってくれているNonに対してさえも、時に激しく反発した。

しかし、もう逃げ道は無く、逃げると更に大変になる事をNonがいつも諭してくれていた。

朝から晩まで休む間もなく自分と向き合う事に徹し、その状態が何年間も続いた。

外出する事もほぼ無くなり、近くのスーパーへ行くことが一大イベントのように感じていた。

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そのような状態の中、私は経済的にも働かなくてはならなかった。

けれども、自分に出来る事は何もなくなっていて、先ずは何とか近くの工場へ働きに行く事からスタートした。

怒りの感情の下には哀しみや自己否定などの感情もたくさん眠っていて、それらも徹底的に感じて手放していった。

感情解放をすると浄化が早く、通常だと何年もかけて潜在意識をクリアにするところを、急ピッチで進んでいった。

必然的に自分の波動も急速に変化し、同じ所に留まることは難しく、約9年間で7回転職した。

40代後半から50代で全ての仕事を一からやっていくのは、肉体的にも精神的にも本当に大変だったが、必死で努力した。

最初は人と接することすら無理だと思っていたが、事務、介護、医療クラークなど、徐々に出来る事が増えて行った。

そして、最後の病院での仕事でアトランティスでの刈り取りを終え、やっと3次元の仕事からの学びと浄化が終了した。

それと同時に娘と孫が自立し、新たな生活を始める為に引っ越しをした。

申し合わせたわけでもなく、同じタイミングでそれぞれの流れとなり、改めて宇宙の計らいを感じた。

約10年間で様々な経験と浄化をして来た事で、私の性格は180度変わった。

努力など殆どした事がなかった自分が、努力する事で成長し、自分本位で無責任だった私が、自分の行動、言動、想いに責任を持つ大切さを学んだ。

それらは、真の感情を感じる事でしか得られない地球でのありがたい経験と学び。

ディセンションは長く苦しい体験だったが、その体験は何物にも代えられない、自分自身の宝となった。

これらの経験を活かし、新たな世界にシフトする為の責任活動へ辿りついたことは、魂の喜びです。

 

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まるで真っ暗な闇の中から光を感じれるところまで、サポートしてくれたNonに心から感謝しています。

そして、共に大変な経験をしてくれた娘と孫。

一歩引きながらも近くにいてくれた母。

また、私の中を鏡として見せ続けてくれた周りの方々。

動物や植物達。

導いてくれている見えない存在。

学びの場を提供してくれている地球。

全ての繋がりに感謝しています。

私の魂と肉体にも。

 

最後までお読み下さり、ありがとうございました。

長い期間浄化に徹してきましたので、よりクリアにエネルギーをお届け出来ると思います。

また、これらの私の経験が、何らかのお役に立てれば幸いです。 

 

 

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